12月に、「時の微」誌が送られてきた。拝見していて色々現在の日本基督教団の運営について辛口の文書が載っている。特に戒能信生牧師の論文が気になったのでコメントを記す。
牧師の任期制をめぐる問題から
論文の書き出し部分を、表紙と一緒に写真を撮りました。現行の教団の教務運用において、任期制を取り入れ個別教会規則は、教区を通して申請しても、受理されないで突き返されるのだそうです。まことにおかしな話です。
教規に任期制を定めた教会規則を制定してはならないと、その様におかしなことが実際に、明確に定めてあるのならともかく、ふざけた見解です。
教規第86条に定められた、個別教会規則制定に際して必要な10項目の必要的記載事項には勿論入っていませんし、教会について定めた、教規第85条~119条の条文にも、そのようなことは書かれていません。それぞれの教会と勝手でしょう。
教会担任教師の招聘も(通常の平和的)辞任の場合には教会総会の通常決議!
教師の招聘は教規第106条にて、教師の辞任は教規第108条にて、いずれも「教会総会の議決を経て、教区総会議長に申請し、その承認を得るものとする。」と定めてありますから、任期制を採用されているところでその任期終了時には、契約の信義則からして自動的に辞意表明がなされ手続に従って処理されるだけのことです。
教会と担任教師が、招聘時に契約期間を定めることに何の問題があるのですか?
教団の職員として給与を貰っているのなら、職務とした、ちゃんと真面目に教規の条文の文言を読んで勉強してください、恥ずかしい話です。
教団の事務方が問題にしている、教師の解任の問題は通常の手続と異なるのは当然
他人の権利を制限するから、2/3の決議が求められているのです。
確かに、教規第112条には教会が任期途中で辞意表明を成されていない担任教師を解雇する必要が生じた場合の手続が定められています。これは招聘・辞任という通常の手続で処理不能な問題が発生した時の、緊急避難のための条文です。
多数の意思で契約当事者の意思を超え、場合によっては不利益を与えるのですから、判断をする教会総会の運営は公平を期して必要な条件が課せられるます。
教会総会出席者の三分の二の多数の同意を必要とすることは当然なことですが、その教会総会の議長は、教区総会議長(もしくはその氏名者=代理者)があたることも、見解の対立するものが平和に事を治めるために設けられている恵みの定めなのです。
教団事務方の見解は、教師の「招聘・辞任」と、教師の「解任」という全く次元の異なる事についての定めの意味と内容も理解しないまま、そのことを、自分たちが所有もしていない、個別教会規則の承認権を振りかざして、不当な見解への盲従を求めるまことに出鱈目な見解です。
このような見解の存在を許しているのはだれの責任か。
このブログを読まれる皆さんにお聞きしたい。
「時の微」に記事を書かれた戒能信生氏を筆頭に、多くの方が現行の教団の行う規則理解や執行に対する批判をお持ちです。当然なことです。
しかし、それは彼らがおかしいだけですか?
彼らの見解の存在を許している過ちは、批判している私たちの側にはありませんか!私自身は、その原因は私たち彼らを批判している側が持っている欠けの反映ではないかと疑っています。
私たち自身が、私達が組織運営を上手にするために与えられた恵み(教憲・教規)の意味を正しくまっとうに理解し、それを守らせていないから、規則を無視し好き勝手にする者たちの跋扈を許しているのではありませんか。
そもそも、個別教会規則は、教区を通して教団に申請するものですか?
どなたも、この事についてはおかしいと思われていないようですが、教規第85条には「教会は、本教団の信仰告白、教憲、教規および教団諸規則にのっとり教会規則を制定し、教区総会議長の承認をうけるものとする。」と定めてあり、また、教規第168条では、「教区議長の承認した事項は、全て教団総会議長の同意を得なければならない。」と定めています。
個別教会は、教区議長に対して承認を申請し、その承認を受ければ決定なのです。教団総会議長の統括行為は、教規第39条にあるように、教区に報告を求め、必要ある(同意できない)ときには、教区総会議長を招集し、協議することなので、教団総会議長が、まして教団の事務方が勝手に、教憲教規を無視して承認しないとは出来ないのです。
確かに過去には、教団総会議長の承認を必要とする時期は存在しました。
上記の教規第85条と第168条の条文は、1948年に1946年に戦前の日本基督教団規則から教憲・教規の体裁に変更(制定)された日本基督教団教規の条文を、教区に権限を移し体制強化するために、条分の文言を1948年10月28日の教団総会で2/3の賛同を得て、明確に変更決議(そこに変更の意思が表れています)されたものです。
参考に、1946年の条文を示しておきます。
1946年の内容では(教団総会議長の承認を要する)となっていました。
第82条「教会は教憲及教規に則り其の教会規則を制定するものとす。教会規則は教団総会議長の承認を受くることを要す。」
第162条「教団総会議長の承認を受くるべき事項は、全て教区総会又は教区常置委員会の議を経ることを要す。」
でも今は違います。
1948年以降は既に報告した通り、現行の教規の内容になっています。
個別教会の規則制定・変更の承認や、教会担任教師の招聘・辞任・解任の承認などはいずれも明確に、教区総会議長の承認事項(教区常議員会の議は必要ですが)なのです。
この事は逆に言うと、教区総会議長や教区常議員会のメンバーは、教憲・教規を正しく読み理解できているということの表明なのです。全国の教区総会議長の皆さん、教区常置委員の皆さん、その職責は十分に果たしていますか。
1948年の規則改定は、教区の責任と自立を求めた、其れに立ち帰ろう。
1968年に成された、教規に明確な条文変更を加えて修正を成された教団の意思は、各教区を運営する常置委員や教区総会議長が、相応しく成長することを願ってなされているのですから、その与えられた権限を理解して相応しく活動してほしいものです。
そうすれば、教団事務局や教団三役の横暴は防げるようになれると思います。チョットと調べて下されば、教団による教憲・教規違反は数多くあります。
前総会の時に指摘されたことですが、教団総会総会議長が、教団総会の常任委員である会計監査委員(教団総会議員の互選で選出されることに決まっている)に、教団総会議員でない者を推薦し決定したことや、教区総会で規則制定改廃は2/3の同意が必要なのに、単純過半数の同意で可決を宣言してしまうなど(いずれも教憲・教規違反で無効)出鱈目をしているのですからあきれます。
皆で、教憲教規を丁寧に、正しく読んで、それを守らせましょう。
(猪十戒)