猪十戒の石の叫びと祈り(教憲教規等の解説と思い)

猪十戒(高槻教会信徒である安田信夫)が、日本基督教団の運営に対して、一致と前進を求めて問題指摘、提言を行うためのブログです。私が感じたことを素直に表現し、また行動します。優しい忠告など、歓迎いたします。コメントをどうぞ。

教憲教規を正しく適切に解釈するために

憲教規を正しく適切に理解するためには何が必要なのでしょうか?

 私は、2003年・2007改定版「教憲教規および諸規則」、2002年改定版「教憲教規の解釈に関する先例集」を手元に置いて教憲教規を学んでいます。規則解釈の参考書は元内閣法制局長の林修三さんがまとめた「法令解釈の常識」を使っています。それ以外の参考書は国語辞典のみという状況ですが、高卒の私でも「教憲教規」は解釈し理解するのに困難はありませんでした。

 その経験からは、「教憲教規」を理解するに一番大切なことは「教憲教規」を素直に受け入れ読もうとする心です。それがさえあれば、

  1. 義務教育終了程度の日本語理解力。
  2. 与えられた文章を素直に受け入れ理解しようとする柔軟なこころ。
  3. 法令用語の使い方に関するわずかばかりの知識。
  4. 通常の社会常識。

などの誰でもが簡単に理解でき、特別の能力や知識は必要ないことがわかります。

 では、われでもが簡単に解釈し理解できるはずの「教憲教規」の理解について教団の中で対立や混乱が無いかというと、それが悲しいことに「聖餐のあり方について」「伝道所の扱いについて」などで深刻な不一致と対立があります。

 私は一信徒で「教憲教規」の学びを本格的にしたわけではありませんし、教団議長や総幹事や「教憲教規」の解釈を司る教団の信仰職制委員長はその職責上ちゃんと正しく理解されていると思うのですが、にもかかわらず、まだ問題視されていないいくつかの事柄について、私の前に示される事実からは、本日本基督教団における「教憲教規」の解釈と運用にはいくつかの深刻な問題点があるとの思い・疑問・不満を消すことが出来ず、改善されるべきとの思いを抑えることができません。

 本来私が取るべき手順については、「先例集」の発刊時の信仰職制委員長の戸田伊助氏がその序文に記しています。本当に適切なコメントで「問題を全教団的に共有してよりよい答えを見つけだし、教団・教区・教会に益するため」の切なる祈りで、私も心から「アーメン」と唱えます。

 しかし、最近の教団の状況からは、そのことをなすためには「まずどこに問題と課題があるのか」「それを解決するための方法は何か」を広く全教団的に共有できるための情報発信と、互いの意見を尊重しつつ自由に論議できる場の設定が必要と思います。このブログが、そのために活用されたらとの願いを込めてこの文章を書いています。

次回からは、私が疑問に思う具体的な事実を素材に、具体的な解釈の検討をしてみたいと思います。

たとえば

  1. 「セクシュアル・ハラスメントの防止等に関する規則」は、規則として有効か?
  2. 日本基督教団 教会」規則(準則)は、規則なのか?、ただの例示か?
  3. (準則)に従って作成・承認された個別教会規則の内容は教規違反となっているが、それは有効か?無効か?

結構、深刻な問題提起をします。                                     (攄十戒)