皆さんは、教憲教規の制定の目的は何と理解されていますか。そのような事は考えたことも無い方も多いかもしれません。教憲教規は教会の秩序を守るために定められているので、その目的など考える必要はなく、ただ忠実に守れば良いと思っている方が多いと思います。
しかし教憲教規は、チャンと目的を持って成文で定められた規則ですから、その制定の目的があります。その事を理解しないで読むと、間違った解釈に迷い込みますからその指定目的を確認してみましょう。
教憲教規の制定目的は、信仰のあり方を定めた信仰の指導書として定められたのでしょうか。
教憲教規をめぐる解釈の論争の中で、「正しい聖礼典の執行がなされていないこと」=「教憲教規に違反」との論を立てられているグループがあります。この論者は、教憲教規には正しい聖礼典のあり方が定めてあり、そのことが教憲教規の存在意義であるとの様に主張されているように思いますが、条文のどこにそのような定めがしてあるのでしょうか。山北氏をはじめ多くの方は、条文による裏付けを示さず、声高にそのように定めてあると主張されますが、丁寧に読んでもそのような定めを見つけることは出来ません。
信仰告白違反だとの発言を聞いたこともありますから、信仰告白に聖礼典の正しい有り方が書いてあるというのかも知れません。しかし信仰告白には「教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝え、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行い、愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む」との記述はありますが、どれが正しい聖礼典の持ち方かについての明確な記述はありません。
教憲教規は、教団の組織活動のルールを定めることを主目的として定められています。
教憲の前文に記載されている
わが国における30余派の福音主義教会およびその他の伝統をもつ教会は、それぞれ分立して存在していたが、1941年(昭和16年) 6月24日くすしき摂理のもとに御霊のたもう一致によって、おのおのその歴史的特質を尊重しつつ聖なる公同教会の交わりに入るに至った。かくして成立したのが日本基督教団である。
に示されるように、多くの「おのおの異なった歴史的特質を持つ教会(教派)が」一つとなって活動するために必要な具体的な組織活動のルールを定めるために、準備・整備され制定されたのが教憲教規です。
ですから、組織活動に関しては、
- 信仰告白を奉じ、教憲・教規に従って活動すること。
- 教憲・教規に従って会議制による政治運営を行うこと。
- 教団・教区・教会の階層別の会議を設定し、それぞれ総会をその最高政治機関とすること。
- 教会は主の日毎に礼拝を守り、時を定めて聖礼典を執行すること。
- 教団の教師は、神に召され正規の手続きを経て献身した者であること。
- 教団の信徒は、バプテスマを受けて教会に加えられた者であること。
- 教会役員は、教会総会において選ばれた者であること。
- 教憲を施行するに必要な規定は、教規によってこれを定めること。
- 教憲と教規は教団総会で出席議員の3分の2以上の同意を得なければ制定・改廃できないこと。
などが細かく定められています。
しかし、条文を細かく丁寧に読んでください。
聖礼典、バプテスマ、聖餐、按手礼、准允などの有り方については、明確な定めはなされていません。
それが大切でありゆるがせに出来ない事柄ならば、通常ならば最低限の合意内容でも明文で記述されるはずですが、そのことについては明文で記述することは避けられています。
そのことは、「先例集5.」の記された(第12階教団総会議案第10号「教憲改正案」より)の
改正方針としては、(1)教団がキリストの体なる教会にふさわしく整えられるという面と、(2)教団の現実を尊重して、無理押しをしないという面とを、妥当に相即せしめることが考えられる。
との教憲改正案解説に示されていますが、明確に定めないというのが教憲の姿勢です。
大切なことの対部分が教会役員会に委ねられているから教憲第10条の2がある。
教憲第8条に定められた、礼拝・聖礼典のもち方についての規定は、
- 教規第102号の第1号に「礼拝および聖礼典の執行に関する事項」は教会役員会の処理すべき事項である。
- 教規第104条第2号に「聖礼典の執行は教会担任教師(伝道師は除く)が行う」
を除いては有りません。
教会役員会にこの様に重要な役目を担わせる担保に、教憲第10号の2に「教会役員は教会総会で選ばれた者とする」との定義が定められているのです。そのように解釈しなければ、教憲だ10条の2が追加された理由を合理的に説明できません。
教憲・教規の制定理由が、組織活動のルール制定ならば!
教憲・教規を読み解くときには、その文脈で読み解きましょう。
その詳細については、今後、逐条解説で披露して行きます。 (羜十戒 & 攄十戒)