教憲の逐条解説に入る前に、決まりの配置に関しての考察から入りましょう。
『日本基督教団 教憲教規および諸規則』の目次を開いてください。
順番に並んでいます。
事務局規則以下の目次は省略しましたが、この配置には意味があります。その意味を先例集から確認しておきましょう。
先例集1.信仰告白は教憲の前に置く
1.信仰告白は教憲の前に置く
信仰告白は教憲の前に置くことを決定した。
(第3回教憲改正特別委員会 1955年4月11日)
(註)教団信仰告白制定に伴う教憲改正のために設けられた教憲改正特別委員会(平賀徳造委員長)は教憲各条項の内容、順序の他に信仰告白の教憲教規における位置づけについても検討し、前期の通り決定した。
教憲教規の改正時において、「教憲各条項の内容、順序」についてまで心を配って検討されていた事が表明されています。勿論、先に表した目次の順番いついても検討され、信仰告白は教憲の前に置くことがいまられたのです。では、なぜ前なのでしょうか。
配置位置の前後では、前の方に大切なものを置くのが常識
それは、法律文書だけでは有りませんが、決まり事を定める時には大切なことから順番に記述するのが常識だからです。ですからそれを解釈し理解するときにおいても、そのことに心を配らなければなりません。
先の先例集の(註)では、「教憲各条項の内容、順序の他に信仰告白の教憲教規における位置づけについても検討し」と記述されていますから、教憲各条項の内容、順番については当然検討され、内容の前後位置についてまで心が配られており、そのことは目次に表される条文以外の部分の配置にまで及んだと理解すべきです。
日本基督教団では、聖書の権威の次に信仰告白がその次に教憲が位置づけられる
さて「先例集1.」で、日本基督教団信仰告白が、教憲の前に位置づけられたことが確認出来たら、「旧新約聖書は、神の霊感にによりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。・・・」との信仰告白から、聖書の権威がさらにその前に置かれていることが理解できます。
「大切なことを前に配置する原則」は条文の中でも使われています!
前記の原則は、教憲第5条、第6条、第7条の条文の表現の中でも保たれています。教憲の条文理解の時に間違わないで下さい。最近はその原則に気がつかないで、教会総会や教区総会の決議無効の見解が表明されていますが・・・。
教憲第5条 「本教団の教会的機能および教務は教団総会の決議ならびに教憲および教規の定めところに従って・・・」
この規定は「教団総会の決議」と「教憲および教規の定めるところ」が同格で併記されているわけですが、先の原則に従うと、教団総会の決議が大切なこととして優先されると理解出来るわけです。教団総会が教憲や教規の変更権限を持っていることから当然のこととして理解できるでしょう。
従って、この第5条では「教憲および教規の定めるところ」ならびに「教団総会の決議」にしたがってと、定めてはいけません。
では第6条、第7条ではどうでしょうか、同じように
「教区総会の決議」ならびに「教憲および教規の定めるところ」にしたがって
「教会総会の決議」ならびに「教憲および教規の定めるところ」にしたがって
と定められています。
先の原則に従うと、前に書いてある「教区総会決議」「教会総会決議」が大切にされ教憲教規をの権威を無視している様に見えておかしいと感じるかもしれません。
しかし教区総会も教会総会も、教憲教規が許容する「教区総会の取り扱うべき事項」「教会総会の取り扱うべき事項」しか決議できませんから、上記機関の権限を侵すことはありません。それぞれの機関で扱うべき事項についてだけは、各々の最高政治機関としての権限が生きてくるのです。たとえば個別の教会規則はその教会についてのみその権限が働くので教会総会が最高の決議機関で問題ないのです。個別教会規則を盾に他の教会の内政に干渉することは想定されないからです。もし個別教会規則で、教区で定めるべき内容を定めてとしたら、それは当然権限外として否定されるでしょう。
この原則に注目して、もう一度教憲・教規を読み直してみましょう。
どこまで許され、どこから許されないか、興味ありませんか。ここに解釈の面白みがあります。 (羜十戒)