猪十戒の石の叫びと祈り(教憲教規等の解説と思い)

猪十戒(高槻教会信徒である安田信夫)が、日本基督教団の運営に対して、一致と前進を求めて問題指摘、提言を行うためのブログです。私が感じたことを素直に表現し、また行動します。優しい忠告など、歓迎いたします。コメントをどうぞ。

「主の教会は一つ」私の原風景 (教派を超えた元旦礼拝の経験)

今日は自己紹介を兼ねて、私が日本基督教団が好きな理由と「主にある一致」を心から祈っている原体験を話します。教派を超えて働かれ、唯一つの教会を示されている主の御霊の働きを感じた経験についての話します。

 私は1963年のイースター広島県福山市の福山延広教会で受洗しました。高校1年の4月のことです。

 その当時の福山市には日本基督教団の教会が3つ福山延広教会、福山東教会、福山天使教会、それ以外にアライアンス教会、福音ルーテル教会聖公会、それに記憶は定かではないのですがバプテスト教会もあったと思います。アライアンス教会と福山東教会は同じ中学校区で牧師先生のお子さんは同学年でしたから当然交流がありました。勿論、子供同士の自然な交流ですが、お互いに同じクリスチャン仲間との連帯感はありました。

 それ以上に私に教会の一致を感じさせてくれたのは、当時福山市プロテスタント教会が合同で実施していた持ち回り方式の合同元旦礼拝です。洗礼を受けるまでの中学当時は子供同士の友達付き合いでしたが、高校になってからは、その元旦礼拝に出席しました。最初はルーテル教会、次は教団の教会、最後は聖公会の教会だったと覚えています。礼拝の形式は、当然会場となる教会のやり方で実施されます。特に聖公会の礼拝に出たときは、女性信徒がベールをかぶっておられたこと、お祈りするときにひざを突いてひざまずいて行う経験には驚きました。でもどこに行っても、特別な違和感はありませんでした。それ以上に、どの教会にも同じイエス様が折られるのだとの思いを深くしました。

 まだ若い時の経験です、神学的な理屈よりも礼拝に集う喜びの方がずっと素直に入っていた時代です。それから40年以上たった現在、その伝統が福山市で今でも続いているかどうかは不明です。でも私の心の中には、今でもその時の生きています。

 また当時、私の教会学校の校長先生(北海道で野幌教会の創立に関わられ、また、国際基督教大学の神学部を北海道に作ろうと奔走された先生です。結局それは実現せず酪農学園大学が出来たのですが・・・)がいわれたことも心に残っています。「戦争の困難の中で、不思議な御業によって教派を超えて教団として一つにまとまれたのに、旧教派に戻ってしまった人たちがいる、それが北海道の教会をどんなに困難にした事か、教派を越えてイエス様の元に一つになることは大切だよ」、この言葉も今も心に残っています。

 それから40数年、出席教会は長老派、会衆派、メソジストと変わりました(教会の礼拝や組織運営の伝統がそうであったというだけで私の心は教派を超えた教団です)が、今でもあの経験を自分が住んでいる地域で再現したいとの希望と祈りは失っていません。

 元旦礼拝は、教会暦の行事とはまったく関係がありません。実施されている教会もあれば、やってない教会もあるでしょう。元旦の曜日によってその年の元旦礼拝の実施をするか否かをいきめるところもあるかもしてません。でも、他の宗教では初詣の習慣があります。私たちも教派を超えた交流の場として考えて見ませんか。教団外の他教派との交流が無理なら、教団内の近隣の教会の交流の場として設定するのもすばらしいことです。

 信徒同士が、互いに交わりを持つこと、そこからは御霊に導かれた一致へのエネルギーが与えられます。主の助けにより御心がなされますように祈ります。                      (羜十戒)