猪十戒の石の叫びと祈り(教憲教規等の解説と思い)

猪十戒(高槻教会信徒である安田信夫)が、日本基督教団の運営に対して、一致と前進を求めて問題指摘、提言を行うためのブログです。私が感じたことを素直に表現し、また行動します。優しい忠告など、歓迎いたします。コメントをどうぞ。

知っていますか、「日本基督教団○○教会」規則(準則)は、教規違反のすすめ!

日本基督教団○○教会」規則(準則)(以下では「準則」と記する)に単純に従うと教規違反になります。皆さんの教会の教会規則は大丈夫ですか。

 今、教団の中で問題になっている「正しい聖餐」との山北教団議長発言をはじめ、教団の中に教憲教規をちゃんと守るべきであるとの声が高く上がっています。勿論、決まりを守ることは大切なのですが、そのように発言している人たちが教憲教規を正しく理解されて発言されているかというとはなはだ疑問です。未受洗者に聖餐に預らせるのは「準則」第8条を守ってないから、教憲教規違反だというのがその主張の骨子のようなのですが、それは本当に教憲教規違反になるのでしょうか。そもそも「準則」は日本基督教団の規則ではありません。個別教会の教会規則を制定するための、出来の悪い例文(参考資料)にしか過ぎません。

 多くの教会はその「準則」を下敷きにそのままの形で個別教会の教会規則を作成され、教区議長の承認を受けて教会規則とされていますが、その手本の「準則」の品質が悪いために、「準則」に従ったために教規違反を内包する教会規則になってしまいます。皆さんはそのことをご存知ですか。

教規は第85条と第86条で教会規則制定の用件を定めています。

 皆さんは教規の条文を丁寧に読まれていますか。印刷された教規を見ると第85条と第86条の間に第85条の2が入っているために気がつきにくいかもしてませんが、第85条と第86条はセットです。

第85条 教会は、本教団の信仰告白、教憲、教規および教団諸規則にのっとり教会規則を制定し、教区総会議長の承認を受けるものとする。

第86条 教会規則には次の事項を規定しなければならない。

  1. 名称
  2. 所在地
  3. 礼拝、伝道その他集会に関する事項
  4. 教会担任教師に関する事項
  5. キリスト教教育主事に関する事項
  6. 信徒に関する事項
  7. 役員に関する事項
  8. 財産の管理および財務に関する事項
  9. 公益事業に関する事項
  10. 合併および解散に関する事項

「準則」の内容はいちいち引用しませんが読んで下さい。第86条で規定しなければならないと指定されている

  3.礼拝、伝道その他集会に関する事項 (本来ここには教憲第8条に記載されている内容が入るはず。)

 10.合併および解散に関する事項

 の2項目が無視されていることがわかるでしょう。

 第86条で規定しなければならないと明記してある項目ですから、準則第50条にあるように、「この教会規則に定めないことは、教団の教憲、教規ならびに諸規則によるものとする。」との記載では規定したことにならないのは明白です。

それでは、多くの教会の教会規則は、教憲教規違反として無効になってしまうのでしょうか。

 これについては、昨今の信仰職制委員会の教規違反の決議や規定はそく「無効」であるとの論に従えば、自動的に「無効」ということになるのでしょうが、私はその論に組することは出来ません。確かに教憲教規違反の教会規則であるのは事実ですが、教会総会で正規の手続きで定められ、教区総会議長の承認、教団議長の同意を得ているわけですから、そのことによって違法性は棄却されており、教会規則としては有効であると判断するのが穏当と判断します。

 その判断を支える教憲上の規定は、教憲第7条です。

教憲第7条 本教団の所属教会は、本教団の信仰告白を奉じる者の団体であって、教会総会をもってその最高の政治機関とする。

 教会の教会的機能および教務は教会総会の決議ならびに教憲および教規の定めるところにしたがって教会総会議長がこれを総括する。

 その第2項において「教会総会の決議」と「教憲および教規の定めるところ」は同格であります。同格ですから両者が異なる結論になった時にはどちらを採用しても良いが、表記の前後で前を優先するというのも通常採用される解釈です。

 同様な判断とロジックは教憲第6条による教区の判断、教憲第5条による教団の判断にも適用できますから、全体として実際的な面では教憲教規違反の事実を包含した教会規則であっても、各段階の機関で正当に決議されたなら、そのままで有効と判断されて良いといえます。

 勿論このようにして有効な教会規則と判断されても、教憲教規違反の事実は残っていますから、それに気がついたら早急に是正される(改定される)のが望ましいことは違いありません。

 逆に、教規違反の事実があるから自動的に「無効」であるとの解釈に固執することは、現実の教団・教区・個別教会の運営に大きな影響を与え無用な混乱を広げるだけでまずい対応でしょう。決まりの解釈は、現状に正しい解決の方向を示しながら、混乱を避ける方向でなされるべきものです。

                                                        (羜十戒 & 攄十戒)