猪十戒の石の叫びと祈り(教憲教規等の解説と思い)

猪十戒(高槻教会信徒である安田信夫)が、日本基督教団の運営に対して、一致と前進を求めて問題指摘、提言を行うためのブログです。私が感じたことを素直に表現し、また行動します。優しい忠告など、歓迎いたします。コメントをどうぞ。

青木敬和氏の イエスが「退任勧告」をうけた を読んで

あのベットは父の作られたベットではありません。

「巨人とベット」の寓話、本当にばかげた信じられない話です。

でも今教団で起こっている寓話は、少し様子が違っている事も理解下さい。父のベットを壊して、一人の子どもが自分のサイズに合わせて、別なバットを作ってしまったのです。だから、手足がはみ出して、困ってベットにあわせて足を切ってしまったのです。

勝手に寓話を作ってしまいます。父のベットは大きいベットだったのですが・・・・

父は、3人の体の大きな子と、30余人の体の小さい子どもが一緒に休めるような大きな教憲教規というベットを作って下さったのです。出来たばかりの時には、年長の子供達が大切に手入れをして、ベットの手入れの仕方もチャンと丁寧に読めばわかるように組み立て説明書も作ったのです。

しかしその内に皆が手入れをしなくなり放って置いたら、一人の体の大きな子どもがベットをばらばらにしてしまいました。もうすぐお客さんが来る、ベットは組み立てなおさないといけません。

部品がどこに行っかわからないので、家の外に出てベットに使えそうな部品(準則)を探してきました。それを中心に自分の体にあわせて新らしベットを作ってしまったのです。自分の体が前よりも小さくなった事に気がつかないで、また他の子も一緒に使うバットだということも忘れてです。

その上、前から用意されていた組み立て説明書を探していたら、ご機嫌取りの友人が、説明書の別の色で落書きをしてしまったので最悪です。ちょっと体の大きい人は寝れないほどの小さなベットが出来てしまいました。

それにお客さんの体をあわせようとしたから大変です。お客を大切にするならベットを大きくするしかないのですが、落ちついて考えるゆとりがありませんでした。で、のこぎりでお客の足を切ってしまったのです。

「教憲教規」は本当に賞味期限が来ていますか? まだまだ十分味わえます。

山北氏に教団議長の権限と信仰職制委員会の権威を背景に、あれほど「教憲教規」のでたらめ解釈と運用をされると、「教憲教規」もズレておかしくなっていると錯覚するのは仕方ないかも知れませんが、もう一度「教憲教規」をじっくり読み直す識別力と勇気も必要です。北村先生も教規違反をしているとは全く思っておられないと思います。皆で一緒に「教憲教規」の正しい理解を、昔の説明書を丁寧に呼んで探してみましょう。戸田先生もそれを祈っておられると思います。

教団新報4640号の山北コメントを読んで

顕著な決めつけと「規則の番人」のトーンですか、私はそれはほめすぎではないかと思っています。ハートがちっとも伝わってこない文というのも同感です。しかしそれよりも「言い訳」に終始したコメントというのが私の率直な感想です。見出しに準則第8時条が書いてありますが、あれは山北氏の発言ではないと思います。彼の文書の特徴は反論し責任追及される可能性のある主張の具体的根拠を示さずに、相手は違反しているを繰り返し声高く繰り返すことです。紙面1面の記事で発言根拠として示したのは教規39条(議長は常議員会に諮問し、また発議することができる)だけです。確かに発議できますが、それは常議員会が処理すべき事項についてです。処理すべき事項を外れて発議できるとの認識は、ご自分と常議員会の役目を理解していない事になってしまいます。この件については、ゆっくり検討してまとまったら信仰職制委員会に聞いてみましょう。

教団のリーダーに求められているのは

青木先生の言われるとうりです。「新鮮で、鋭い、そして暖かい感性であり、日本の教会を、こんなダイナミックな教会にしていきたい、という構成力です。」そのようなリーダーを私達は持ちたいです。

それが、選ばれていないということは、選ぶべき私達の責任です。祈りがんばりましょう。(羜十戒)