猪十戒の石の叫びと祈り(教憲教規等の解説と思い)

猪十戒(高槻教会信徒である安田信夫)が、日本基督教団の運営に対して、一致と前進を求めて問題指摘、提言を行うためのブログです。私が感じたことを素直に表現し、また行動します。優しい忠告など、歓迎いたします。コメントをどうぞ。

教憲前文の検討その4 分立していた教会が「聖なる公同教会」の交わりに入るに至った。

教憲前文の第3項 くすしき摂理のもとに御霊のたもう一致

 わが国における30余派の福音主義教会およびその他の伝統を持つ教会は、それぞれ分立して存在していたが、1941年(昭和16年) 6月24日くすしき摂理のもとに御霊(みたま)のたもう一致によって、おのおのその歴史的特性を尊重しつつ聖なる公同教会の交わりに入るに至った。かくして成立したのが日本基督教団である。

 この第3項は、長短二つの文章で成っています。前の長い文章が、多くの皆さんが色々に評価をされている「くすしき摂理」のもとの「御霊(みたま)のたもう一致」による日本基督教団の成立にかかわる経過の説明です。

 この文章を丁寧に見てみましょう。

 まず最初に「わが国における30余派の福音主義教会およびその他の伝統を持つ教会は、それぞれ分立して存在していた」が、と教団成立以前の分立状態の教会の状況を表示します。その後、教団設立の具体的な日時を明示した後「くすしき摂理のもとに御霊(みたま)のたもう一致によって、」と主の御霊の働きに導きによってことがなされたことを示し、最後に「おのおのその歴史的特質を尊重しつつ聖なる公同教会の交わりに入るに至った。」と成された結果を明示します。

おのおのその歴史的特質を尊重しつつ

 この第3項の最初の文章は、日本基督教団が合同教会で、おのおのの教会がその歴史的特質を尊重されつつ存在できる事を表明した箇所として、多くの方に愛読されている部分です。

 文章を素直に読むと、「色々と分立して存在していた」教会が、御霊の導きを受け、「おのおのその歴史的特質を尊重しつつ」「聖なる公同教会の交わり」に入るに至ったわけです。

 もし「おのおのその歴史的特質を尊重しつつ」という但し書きであらわされている互いを認め合う心がが無ければ、共に「聖なる公同教会」の交わりに入る事は出来なかったと思います。その互いに「おのおのその歴史的特質を尊重しつつ」交わりに入れる事が「御霊のたもう一致」の実質であると思います。その事は決して忘れてはなりません。

「くすしき摂理のもと・・・」には批判も有るでしょうが?

 勿論、教団設立を取り巻く環境が国家権力の強力な影響下に有った事は事実であり、安易に「くすしき摂理のもと御霊のたもう一致によって」とまとめる事に批判的な見解や批判が存在する事は理解していますし、その見解や批判を忘れてはいけない事は理解できるのですが、文理的に教憲を解釈するためには、その見解・批判は置いておいて、文章を素直に読むことに注力します。

かくして成立したのが日本基督教団である。

 第3項の後半の文章は、上記タイトルそのままです。

 「30余派の福音主義教会およびその他の伝統を持つ教会」が、「くすしき摂理のもとに御霊のたもう一致によって」、「おのおのその歴史的特質を尊重しつつ聖なる公同教会の交わりに」入るに至った。そのようにして成立したのが日本基督教団であると宣言しているのです。

 ただこの文章は、日本基督教団が「聖なる公同教会」であると宣言しているのでは無い事に注目ください。「聖なる公同教会」の交わり入るに至ったのです。 自らが「聖なる公同教会」そのものであるとは言っていないのです。「聖なる公同教会」の交わりに入るは「聖なる公同教会」の一部分を構成する組織としての日本における公同教会としての日本基督教団を表明しているのです。ですから教憲第1条では「聖なる」を除いて「公同教会」と表現されていると私は理解しています。     (羜十戒 & 攄十戒)