猪十戒の石の叫びと祈り(教憲教規等の解説と思い)

猪十戒(高槻教会信徒である安田信夫)が、日本基督教団の運営に対して、一致と前進を求めて問題指摘、提言を行うためのブログです。私が感じたことを素直に表現し、また行動します。優しい忠告など、歓迎いたします。コメントをどうぞ。

教憲前文の検討その3 見える教会としての「聖なる公同教会」が志すもの

教憲前文の第2項 見える「聖なる公同教会」が志すもの

この教会は見えない教会として存在するとともに、また見える教会として現存し、主イエス・キリストをその隅の首石(おやいし)とし、使徒と預言者との基の上に建てられ、代々8(よよ)主の恩寵(ちょう)と真理とを継承して、福音を宣(の)べ伝え、聖礼典を守って、主の来りたもうことを待ち望み、その聖旨(みむね)を成しとげることを志すものである。

 この第2項は、長い一つの文章で成っています。前から順に見てゆきましょう。

見えない教会として存在するとともに、見える教会として現存する!

 この第2項では、第1項で示された主イエス・キリストによって唯一の教会として建てられた「聖なる公同教会」は、神が私達に、福音の真理をあきらかにされ、聖霊による交わりに与らしめた。という内面的なレベルのみでなく、私達の福音への応答によって、見える教会(現実のこの世における教会)として現存している事がまず宣言されています。

「聖なる公同教会」は、どのような処か!

 「主イエス・キリストをその隅の首石(おやいし)とし、」とあらわされています。イエス様の教えに聞き、従う教会である事が示されています。

 「使徒と預言者との基の上に建てられ、」とあらわされています。主の使徒や預言者達が明らかにしてきた聖書の御言葉を基とし、その上に建てられ教会であることが示されています。

 「代々(よよ)主の恩寵と真理とを継承して、」とあらわされています。「恩寵と真理とを」は第1項でも出て来た文言です。福音の中心を指し示す言葉ですが、第1項の時と同じく、この文言の内容は教憲の中では説明・定義が成されていない事に再度注目ください。

 教義を大切にする人達からは、「恩寵(ちょう)と真理とを」継承しての部分から、「聖なる公同教会」は教会に伝わる鍵の権能を継承している。という事が教憲前文であきらかにされたとの主張が出てくるだろうと思います。しかし再度強調しますが、そのことは教憲前文には全く記述されていません。

「聖なる公同教会」の志すもの!

 この第2項では、具体的に志す内容を具体的に明示しています。

 「恩寵(ちょう)と真理とを継承し」、「福音を宣(の)べ伝え」、「聖礼典を守って」、「主の来りたもうことを待ち望み」、「その聖旨(みむね)を成しとげること」を志すものです。

 主の福音を聞き、福音を宣べ伝え、聖礼典を守り、待ち望む、それが「聖なる公同教会」の志すところですから、それに従って教憲第8条が次の様に定められています。

教憲第8条:教会は主の日毎に礼拝を守り、時を定めて聖礼典を執行する。礼拝は讃美・聖書朗読・説教・祈祷(とう)および換金等とする。以下省略 

                       (羜十戒 & 攄十戒)