第2章は、信徒に関する規定です。
私の提案する準則では、第2章は第5条で信徒の定義を行った後に、第6条で信徒の登録に関しての分類による陪餐会員と未陪餐会員の区別とその間の移行条件について定めています。
第7条と第8条で転入と転出について定めます。そして第9条で、非常に大切な現住陪餐会員の定義をしました。その中で不在会員を定義し、別帳会員を定義しています。
第10条では、客員を定義しました。この客員は規則で定める必要があるのか不明ですが、実際のその呼称を使われている教会も存在するようなので残しました。
また、教規に定義されていない。聖礼典である洗礼(バプテスマ)および聖餐式のあり方についてはこの章の記述からは抹消しました。
新準則(安田試案)の第2章の条文と解説です。
『「日本基督教団○○教会」規則(準則)』(安田試案)の第2章の解説
PDFファイルでアップします。A4で6枚ですが、読んで下さって、ご批評下さい。
注:2011年11月15日に「はじめに」の部分を一部修正、またミスタイプの修正。
第5条(信徒)では、会員登録の意味を考えました。
「準則」の第5条では、信徒はバプテスマを受けるか転入会を承認された者となっていましたが、教規第134条に忠実に「会員名簿に登録された者」としました。
この「会員名簿に登録」ということは、事務的な必要のためだけで行われるのではなく、天において「いのちの書」に名前を記入される事を象徴している大切な事だと思います。
従って、この会員の登録という事務作業は、神から委託された大切な教務としてなされなければなりません。この世的な事務作業の大変さから、気軽に記載内容を整理し変更してよいわけがありません。神は放蕩息子をもいつまでも待ち、受け入れてくださる方です。
仏教の知恩院に行って感心したことがあります。何百年も前になくなった方を含めて、過去帳に記された永代供養の名簿に記載された方のための供養の読経が毎日響いていました。信仰に関する記録が残され大切にされていることを実感しました。
私達、主の福音を聞いて主に従う者も、それに負けない、従い奉仕する気持ちをもって、会員名簿の管理に当たりたいものだと思います。
第6条(会員の登録)では、信徒の登録について考えました。
「準則」には教規第135条に対応した定めがありません。この「準則」を作成された信仰職制委員会は、教規第135条をどのように理解されていたのでしょうか。
洗礼に関しては、本人による信仰の告白を伴わないまま、父母の信仰に基づいて授けられる幼児洗礼を認める立場や、それを認めない立場が存在します。それは、日本基督教団の中においてもです。
その事を考慮して、会員の登録の時に、その洗礼が本人による信仰の告白を伴うものであったのか否かを、2つの名簿に分けて登録することになっているのです。ですから、陪餐会員の定義も、未陪餐会員の定義も、その区分すべき事柄に従って定めました。
もし、陪餐会員名簿が「聖餐にあずかる資格のある信徒を登録するもの」であり、未陪餐会員名簿が「聖餐にあずかる資格のない信徒を登録するもの」であるならば、陪餐停止の戒規を受けた信徒は、陪餐会員名簿から未陪餐会員名簿に登録が移され、再度信仰告白式をもしくは堅信礼を了しはければ陪餐会員になれないというおかしなことになってしまいます。
第7条(転入)、第8条(転出)は、手続きに関する規定です。
「準則」では、第9条と第10条でした。 基本的な変更はありませんが、文言の使い方を教規の使い方に近づけました。また「準則」では会員名簿との関連を記述していませんでしたが、大切な事なので「会員名簿に登録し」「会員名簿から除籍する」との表現を加えました。
第9条(現住陪餐会員)では、その概念の意味を明確にしました。
現住陪餐会員は、教憲教規における地位としては、組織運営上は陪餐会員よりも明確に一途けられなければならない存在です。信徒とは誰をさすのかといえば、信仰的な意味では陪餐会員、未陪餐会員なのですが、教団の組織運営の政治的な意味では現住陪餐会員なのです。
まず第1項で、その事を明確に規定し宣言し、同時に不在会員を定めています。
それに続いて第2項で、教会総会の議員であり、宗教法人規則上の教会員であることの宣言がなされています。この宗教法人規則上の教会員であることの宣言は、教会規則が宗教法人規則に対して上位の規則であることの首長をふくんでいるのです。
そして最後に第3項で、会員別帳の存在とそれに移す基準を明示しています。また、別帳会員を定義しています。
「準則」第11条の第4項の記述は、主の主権を犯すことになるので削除しました。
「準則」第11条の第4項には、「別帳に移された後、相当の期間にたってなお教会との関係が回復されない者は、役員会の議を経て、除籍する事ができる。」との規定がありました。
この規定は、神様の前で信仰を告白し「いのちの書」に名を記された者を、私達人間(役員会)の判断で否定するという、主の主権を犯す内容になっています。
私達の仲間には、若い時に主に捕らえられて受洗し、その後長い間主の下から離れて放浪し、人生の晩年になって再び主に捕らえられ帰ってこられた方は多くいます。人間の愚かな判断で、いのちの書に記載された内容を否定するような事をしてはなりません。
ですから、「準則」第11条の第4項にあった定めは削除しました。
会員名簿にまつわる色々な思い
第10条(客員)には、他の教会に所属したまま、この教会でも(礼拝出席や献金など)責任を負って下さる方を、客員と定義しました。
この客員は、この教会において本来的な意味での会員名簿に登録されることはありません。しかし、日常の教会生活がなされる際に使われる実際的な教会員名簿には、客員との区分で記載されると理解したらよいでしょう。実際的な教会員名簿には、現住陪餐会員のほかに他住会員、永眠会員など、その教会の必要と現状に合わせて色々な区分けがあっても良いでしょう。
しかし大切な事は、オフィシャルな会員名簿には、陪餐会員名簿と身倍さん会員名簿しかないことを忘れてはなりませんし、組織運営上の必要からは、現住陪餐会員名簿と不在会員名簿しか存在しない事を理解したうえで、管理上の工夫が考えられるべきでしょう。
羜十戒