猪十戒の石の叫びと祈り(教憲教規等の解説と思い)

猪十戒(高槻教会信徒である安田信夫)が、日本基督教団の運営に対して、一致と前進を求めて問題指摘、提言を行うためのブログです。私が感じたことを素直に表現し、また行動します。優しい忠告など、歓迎いたします。コメントをどうぞ。

『福音と世界』2010年4月号の「時のしるし」を読んで

「時のしるし」には、憤りと悲しみの記事が・・・

 『福音と世界』の2010年4月号の「時のしるし4」に『北村滋郎牧師「免職」によせて』と題して、岩井健作氏、櫻井重宣氏、後宮俊夫氏、茅野 勇氏からの発言に接しました。

 それぞれの方からの、北村教師への現在の日本基督教団執行部からのあまりにもひどい対応に対する憤りと悲しみのメッセージが寄せられています。皆さんもぜひご一読を。

日本基督教団は、1941年6月24日の創立大会時から教区制が存在しています。

 後宮先生のご発言については、第3段落までの主張には全く同意できるのですが、第4段落以降については、一部教団成立時の経過の事実について、明らかな誤認があるように思います。

 先日参加した2009年度宣教方策会議における主題講演でも内藤総幹事が、「教団が出発した頃には、教区がなく、全体教会としての教団と各個教会しかなかったのです。(後略)」と発言されていました。私はその内藤総幹事の発言からは、教団総会議長の思い通りにならない教区の存在がなければ、もっと思いどおりに行くのにそれが教区の抵抗で・・・との意思を感じました。

 宣教方策会議から帰って、再度『日本基督教団史』(日本基督教団史編纂委員会編)と『日本基督教団史資料集2』で確認しました。日本基督教団の教区は1941年6月24日の創立総会の時から存在しています。私自身がその総会において満場一致で確認された「日本基督教団規則」草案と「教団規則」の原本を確認したわけではないが、その総会で教団総理者選挙に続いて11部の代表者たる参与と11教区長、1布教区長が選出されている事実がそれを証明しています。

 また『日本基督教団史資料集2』の19頁に、「認可された教団規則」の〔解題〕に「草案では教区は第5章にまとまられているが、規則では〔教義の宣布〕の項に「布教の便宜」上設けられた、と軽く扱われている。と記述されているので、草案の時から教区が設けられていた事は間違いがありません。教団の常議員会には総会役員と総会選出の常議員で構成され総理者・参与・教区長が陪席していました。教区会も1941年7月から9月にかけて開催されています。

 後宮先生や内藤総幹事が誤解されている要因は、教団創立時には11部制であったのが、創立後にわずか15ヶ月で部制が廃止された事に対する思いが大きいのであろうと思いますが、教区は教団創立時から存在していたことは、事実として受け入れなければなりません。

教憲における教区は、第12回教団総会で「教区の権限強化」の改正がなされた。

 現在の教憲の内容は、第12回教団総会における大変更で定められたものです。戦前の流れを汲む教団総会議長が総て掌理する体制から、多くの権限を具体的に教区の委譲するために、教憲第5条から第7条の変更とそれに伴う教規の変更による具体的な権限委譲が行われています。

 教団総会議長や総幹事、常議員会はその定めに従う義務があります。

総幹事や信仰職制委員長は、教団における公僕として、教憲教規に従う義務があります。

 教団における最高の政治機関は、教憲第5条に明記されているように教団総会です。ですから当然のことですが、教団総会は教憲教規を変更する権限を与えられています。

 勿論、会議における議決については、定められた成立要件(出席者人数等)と多数決の条件などの手続要件ががありますから、その基本的な条件・ルールを無視した決議は無効になりますが、手続要件を満たしていれば、その決議は過去の決議と矛盾する内容であっても、常に新しい方が有効になります。

総幹事や信仰職制委員長は「総会決議であっても、教憲教規に違反する決議は無効」と発言をしてはいけません。

 内藤総幹事や岡本信仰職制委員長は、そのような発言をなされていますが、個人としての思いの表現なら許容されるかも知れませんが、公職の責任者としては許されない発言です。そのような発言をされる方は、自ら公職を辞退すべきではないでしょうか。

                             (羜十戒)